KnockuSC新宿チームに所属する
日本代表選手と共に "世界一" を目指す
クラウドファンディングを実施中!
2024年9月8日(日)に、車いすハンドボール世界選手権(エジプト・カイロ開催 2024年9月16日〜9月21日)に派遣される日本代表チームが発表され、KnockuSCから7名の選手が世界選手権へ派遣されることが決まりました!!!
今回、世界選手権に派遣されるのは以下7名の選手です。
・諸岡晋之助
・森谷幸生
・伊藤優也
・永田裕幸
・小貫怜央
・古矢千尋
・平井楓花
世界選手権派遣に伴い、選手の皆さんが自分たちの実力を出し切ること、そしてこの競技を日本国内でより発展させたいという目的を掲げ、本クラウドファンディングのプロジェクトを立ち上げることとなりました。本企画を通じて集まったお金は、KnockuSC所属の日本代表選手の世界選手権参加に係る自己負担金(20万円/人)の補助に充てるとともに、一部をKnockuが行う車椅子ハンドボールの普及活動の資金に充てさせて頂きます。
ぜひ、【選手と共に世界一を目指すファミリーの一員】になりませんか?
本ページの【寄付のお支払い方法】【リターンについて】の部分の下に、各選手のクラファンにかける想いを掲載しています。ぜひご一読ください!!!
【世界選手権の概要】
・大会名:第3回 IHF (4人制)車椅子ハンドボール世界選手権(3rd IHF Wheelchair Handball World Champoonship)
・主催:国際ハンドボール連盟(International Handball Federation)
・開催期間:2024年9月16日(月)〜9月21日(土)
・開催場所:エジプト・カイロ
・参加国:8カ国
グループA: ブラジル(第1回大会優勝)、フランス、日本、アメリカ合衆国
グループB:エジプト、ポルトガル(第2回大会優勝)、インド、チリ
\まずはフォームを記入!/
寄付者様に御礼メールをお送りするために、必ずフォームからお申し込みを行ってください。フォーム記入は1分程度で完了します。
寄付のお支払い方法
支払いの方法は【オンライン決済】と【銀行振込】の2通りあります。
寄付額をご自分で設定することも可能です。
決まった額でお支払いする
場合の決済方法
※オンライン決済のみ
上記ボタンよりStripeとPaypalという決済サービスにてお支払い手続きをしていただくことができます。
クラファンのリターン
寄付をしていただいた方には、リターンを設けています。
①世界選手権での選手の様子を写した写真と各選手からのお礼のメッセージをメールにてお送り致します。
②寄附者様のお名前を記載したお礼メッセージ投稿をKnockuの各種SNSにて公開致します。 ※希望者のみ
寄付の仕方
大変お手数ですが、
①寄付申し込みフォームの記入(1分で終わります)
②寄付金のお支払い
の手順でご寄付をお願いいたします。
※企業・団体様で寄付をご希望の方は、以下(knocku.info@gmail.com)のメールアドレス宛にお問い合わせ下さい。
以下、選手からの世界選手権優勝および本クラファン企画にかける想いを掲載しております。
ぜひご一読ください!!
私たちは、日本代表チームが初出場するこの大会において、自分たちの実力を出し切ることを目標としています。
そしてこの競技を、日本国内でより発展させたいという夢を掲げて活動しています。
この目標と夢を応援・後押ししていただきたく、今回のプロジェクトを立ち上げました。
皆様からのご支援と応援の力をいただくことで、よりいい結果を出せると信じてエジプトへ向かいます。
そして、国際ルールが上陸して間もない日本において、国内での車椅子ハンドボール普及にも尽力していきます。
一般社団法人Knockuは、パラスポーツの普及やパラスポーツを通じた啓発活動を行っている非営利団体です。車いすハンドボールの活動は、私達は2021年10月30日から始めました。最初は活動できる体育館もスポーツ用車椅子もなかったので、代表岡田の高校時代のハンドボール部の友人の務める中学校の体育館を借りて、講師の諸岡選手のスポーツ用車椅子1台だけを使い、参加者5人だけで実施しました。そこから様々な人達の力をお借りしながら新宿区・千葉市を中心に体験会を何度か行っていく中で、定期的に参加してくれている人達を集めてクラブチーム(KnockuSC新宿・千葉)を立ち上げました。クラブの活動を更に広げるために、JHL(日本ハンドボールリーグ)のチームとコラボイベントを行ったり、様々な自治体(東京都・新宿区・千葉市・川崎市)や大学(佛教大学・日本福祉大学)と協力しイベントを実施するなど、様々なことにチャレンジしました。徐年に活動をメディアにも取り上げて頂いたり、車椅子10台を寄付していただいたり、2023年に全国大会で優勝するなど、確実に実績を重ねて来ました。そのおかげか、参加者も徐々に増えてきており、現在はKnockuSC新宿に27名(選手13名・スタッフ6名・ボランティア9名)が在籍し、KnockuSC千葉に20名(選手13名・スタッフ6名・ボランティア1名)が在籍しています。
今後はよりKnockuSCの選手・スタッフを育成していくと共に、他の地域にもチームができるような働きかけ(体験会やイベント・大会の開催、チーム設立支援等)を行っていきます。
6人のこれまでの道のり、そして意気込みをご紹介します。
諸岡 晋之助 (もろおか しんのすけ)
1994年 東京都三鷹市生まれ
生まれつき体が弱かった事もあり、体を強くしようと幼少期から水泳、空手、器械体操、野球に取り組んでいたスポーツが大好きな少年でした。
中学生の頃、思いっきりボールを投げる楽しさ、体をぶつけて行う激しさに魅了されてハンドボールを始めました。下手なりに精一杯真剣に取り組んでおり、高校は強豪のチームに進学、ハードな練習を乗り越えて春の選抜、夏のインターハイ、秋の国体に出場しました。その後大学でも厳しい練習を行いながらも楽しく取り組んでいました。
しかし大学2年生の部活の帰り道、交通事故に遭い左足に麻痺が残りました。右手もうまく動かせなくなるほどの大怪我でした。入院中に「もう走る事やハンドボールはできないかもしれない」と言われた時の絶望感は今でも忘れる事はできません。
そんな中、部活の友達が教えてくれたことで車椅子ハンドボールを知り、「退院したら絶対にやるんだ」という気持ちで1年間の入院とリハビリの日々を過ごしました。
関東圏に車椅子ハンドボールのチームがなかったため、22歳で車椅子ハンドボールチーム宮城フェニックスに参画、日本一を経験しました。この経験が今車椅子ハンドボールも車いすバスケットボールも頑張るきっかけとなり、現在に至ります。
今回の世界選手権にかける想いというのは誰よりもあります。
立ってハンドボールをやっていた頃には、憧れていたけれど届かなかった日本代表という立場、続けてきたからこそ繋がった世界選手権への望み。
ここまで応援してきてくださった方々、一緒に戦ってくれるチームメイトに感謝し、「障害がある人」ではなく「アスリート」として戦ってきたいと思っています。
ぜひご支援、ご協力をよろしくお願いします。
一緒に戦いましょう。
永田 裕幸(ながた ひろゆき)
1984年 鹿児島県奄美大島生まれ
幼少期に埼玉県移住し、小中高と野球に取り組んでいました。
高校卒業後は地元の生コン屋に就職。23歳の時にスノーボードで転落して、胸椎の11・12番を圧迫骨折して車椅子生活に。入院中に車椅子バスケットボールをリハビリで始めたのですが、最初はただボールを放るだけ。面白さは感じませんでした。ところがある日、体育館でクラブチームの人々が練習をしているのを見て、全然違うことに気づきました。選手のスピード、シュートの精度、車椅子同士のぶつかり合い、その迫力に「これはスポーツだ」と感じた瞬間でした。
初めはうまく車椅子をコントロールできず、子どもの頃から運動が得意な方だと思っていた自分は、すごく悔しかったですね。野球やってた頃も試合に負けて悔しいことはあったけど、それとはまた違う「動けない悔しさ」でした。毎日走り込んで動き回って、慣れていくしかありませんでした。次第に動けるようになると、もっと上手くなりたい、そして「日本代表になりたい」と思うようになりました。それがかなうと次は「パラリンピックに出たい。大舞台で結果を残したい」と目標がどんどん大きくなりました。これほど自分を熱くさせる夢は初めてでした。夢があったから、いろんな壁を乗り越えられたんだと思います。
32歳の時には車椅子バスケットボールでリオデジャネイロパラリンピックに出場しましたが、結果を残せず悔しさが残るばかりでした。いつも心に刻んでいるのは「上には上がある」ということ、一つの勝負に勝っても「まだ次」と、今の自分には満足できないでいます。
次の舞台は車椅子ハンドボール。40歳を過ぎても熱くなれる夢があり、海外チームと高いレベルで戦う挑戦となります。
熱いご支援をよろしくお願いいたします。
一緒に戦いましょう。
森谷 幸生(もりや ゆきたか)
はじめまして、森谷幸生と申します。 福島県いわき市で生まれ育ちました。小学校まで歩いて40分、そんな町です。
小学生の時に観たサッカードイツW杯のドイツ代表でGKだったオリバーカーンの衝撃的な映像を目撃し、中学校へ入学したらサッカーのGKをやろう、と密かに思っていたら中学校にサッカー部がなかった、そんな町です。
ハンドボールの出会いはそんな中学校への入学がきっかけでした。縦横無尽に走り回って、跳んで、投げて、止めて、その競技の面白さに目が奪われて部活動見学の初日でハンドボール部への入部を決めてしまいました。志望はもちろんGKでした。
それから沢山練習して、1年生の終わりに新人戦のユニフォームを貰えて本当に嬉しかった事を鮮明に覚えています。
ですが14歳の春、骨の癌といわれる骨肉腫と診断され、それから東京の病院へと入院して人工関節を置換したことで短いハンドボールの人生に幕を閉じました。
しばらくしてパラスポーツでメジャーであった車いすバスケに出会い、日本一を目指して夢中になる日々を過ごしていました。その中で知り合った方から車いすハンドボール誘われた事がきっかけで、想像していなかった僕の第二のハンドボール人生がはじまりました。
車いすならではの接触した時の金属音、工夫されたルール、そして何よりもシュートを止めた時の懐かしさや高揚感、ハマるには十分過ぎる競技でした。
初めて参加した全国大会で優勝する事ができ、ある程度満足していましたが、今度は世界と戦うチャンスがある事を知りました。病気を診断されたあの時には到底想像できなかった未来、そして機会です。
日本は初の世界選手権への参加となりますが、目標は世界一です。世界一になる事で、今目の前が見えない状況の人にも、1つの選択肢として車いすハンドボールがある、そんな事を言える気がしています。
皆様もぜひ一緒に世界一を目指していただけると幸いです。熱いご支援よろしくお願いします。
一緒に戦いましょう。
伊藤 優也(いとう まさや)
小さい頃はよく外で遊んでいる子供でした。中学生になりサッカー部へ入りましたが1学期で辞め、そこからの中学、高校生活は帰宅部としてバイトの日々、スポーツで汗をかいて仲間と何かを目指す青春とは無縁の生活を送っていました。
高校卒業後、土木関係の業種に就職をして働きはじめますが、約2ヶ月後に事故により脊髄損傷。一生での車椅子生活となることを宣告されたのです。仕事も楽しく、自由な生活を送っていたので、当時のショックはでかかったです。
受傷後2ヶ月ほどはベッド上で過ごし、車椅子に乗れるまで回復した後、リハビリ病院へ転院しました。
その病院では車椅子操作等のリハビリの一環として、車いすバスケを行っており、ここで生まれて初めて競技用車椅子へ乗ることとなります。日常用の車椅子とは違い、自分の漕いだ力で風を切り、まだ自由には操作できないながらもスピードを感じることにとても興奮したのを覚えています。
そこでスポーツへの魅力を感じ、2015年に車いすバスケチームへ加入しました。2017年にはU23日本代表のメンバーとしてドバイ国際大会へ参加する機会もいただいたきました。環境の変化や、成長のなさに挫折しそうな時がたくさんありましたが、仲間がいてスポーツが好きだという気持ちがあり、今まで継続することができました。
車いすバスケでは数少ない同年代である諸岡選手から車いすハンドボールの魅力を聞くことがあり、「一緒に世界を目指さないか」と誘われたのが車いすハンドボールとの出会いです。バスケとは違った戦術や、キーパーがいる中で力一杯シュートを狙い決まった時の喜びはハンドボールならではで、今ではその魅力の虜になっております。
本気で熱中できるものと出会うことができ、世界と戦うことができるチャンスが目の前にある今、目標は「世界一になる」ことしかありません。
自分に何ができるのか試行錯誤しながら日々練習に取り組み、支えてくださる皆様と一緒に日本で初めてとなる戦いに挑みたいと思います。
どうぞ応援のほどよろしくお願いいたします。
一緒に戦いましょう。
小貫 怜央(おぬき れお)
野球をやっていた頃、肩が特別強いと思ったことはありませんでした。自分と同じかそれ以上の速い球を投げるチームメイトも相手の選手も山ほどいました。小・中と9年間続けた野球で、周りと比べて何か長けたものがあったわけではありませんでした。
「もう野球は今まで通りにはできなくなります」
悪性骨肉腫、15歳だった私の左膝はこの病に侵されていました。私はこのお医者さんの言葉をきっかけに、自分の置かれている状況の深刻さを知ることとなります。
人生で一番の悲しみと涙に沈んだその日から、私は少しずつ現実を受け入れていくことになります。気付いたらすぐに部活のマネージャーをやっていたり、車椅子ソフトボールという知らないスポーツをはじめてみたり、それまでやってきた野球とは違う形でスポーツに関わりはじめました。
車椅子ソフトボールで活躍するために、肩の強さは必須でした。立って投げるのとは違う感覚、車椅子上でのバランス感、胸郭や上肢の柔軟性など、座って速いボールを投げる方法を、日夜考えました。
Knocküでの車椅子ハンドボールの活動が始まったとき、私はこの武器を持って練習会に参加しました。今までやってきたスポーツとは違う新しい感覚を得ました。自分の投げたボールによって得点を取る、守備でしかボールを投げないソフトボールとは真逆です。
この自分の武器が世界を相手にどれだけ通用するのか、試すことができる一歩手前まで来させてもらうことができました。思い切って腕を振ってきたいと思っています。
皆様のご支援がなければ達成できない挑戦です。車椅子ハンドボール日本代表のこの度の挑戦と、車椅子ハンドボールの未来へのご支援を、どうぞよろしくお願いいたします。
一緒に戦いましょう。
古矢 千尋(ふるや ちひろ)
はじめまして。古矢千尋と申します。
東京産まれ、埼玉育ち、4人姉弟の3番目として産まれました。
活発的な幼少期を送り、授業以外のスポーツとしては小中学校でソフトボールをやっていました。美容専門学校を卒業後、仕事をしつつフットサルやウェイクボードなどもやっていましたが、1番はスノーボードでした。
ドはまりした私は、冬は仕事をしながら、週末は山に通う生活を過ごしていました。シーズン終わりの大会決勝、最後の1本で大きく飛び過ぎてしまい脊髄損傷になり、私の人生は180度変わりました。
入院中は痛みと今後全く歩けない現実に心が押し潰されそうになりましたが、五体満足で産んでくれた母への申し訳なささから1日でも早く、社会復帰しなければという気持ちでいっぱいでした。その第1歩として体力作り、リハビリを兼ねて始めたのが車いすバスケットボールです。
退院後も慣れない一人暮らしと仕事をしつつバスケも続け、去年の10月には日本代表としてアジアパラに出場し銀メダルを頂きました。
そんな中、ハンドボールを体験する機会があり、正直やる前は面白みが無さそうと思っていました。ですが、片手で投げるという意味ではソフトボールの経験があったので、先ずは懐かしさが溢れました。ボールを人に出す時は胸!という車いすバスケの教えが抜けず、分かっていても何度もゴールキーパーの胸に出してしまい、難しさも感じました。ですが大会を観戦した時にその難しさが楽しさに変わりました。
車椅子ハンドボールの世界レベルはどんな物なのだろう、見てみたい、感じてみたい、勝利したいと強く思っています。
そのチャンスをどうか、どうか私達に下さい。
皆様、はじめまして。Knockü SCの阿部武蔵と申します。
現在、私たちは非常に重要な局面に立っています。世界選手権に挑む仲間たちは、日本の車椅子ハンドボールの未来を背負い、戦いに挑もうとしています。以下の6名が、その挑戦に挑む選手たちです。
諸岡晋之助 - キャプテンであり、鋭いカットインプレーから得点を量産する大黒柱。
森谷幸生 - 機動力に優れたオールラウンダー。どんな局面でも素早く対応し、攻守にわたってチームを支えます。
小貫怜央 - ミドルシュートも狙える強肩の持ち主。その強烈なシュートは相手チームにとって脅威です。
伊藤優也 - 随一のディフェンス力を誇る選手。アグレッシブなディフェンスで相手の攻撃を封じます。
永田裕幸 - クレバーなスティールとトランジションの速さが光る選手。洞察力とスピードで試合の流れを一瞬で変える力を持っています。
古矢 千尋 - 車いすバスケットボールで培った味方を活かす献身的でいぶし銀なプレーに是非注目をしてください。
この6名の仲間たちは、エジプト・カイロで開催される世界選手権で、日本の車椅子ハンドボールの未来を切り拓くために不可欠な存在です。しかし、遠征には多大な費用がかかり、資金難という厳しい現実に直面しています。
私たちは、皆様の温かいご支援を必要としています。皆様のご協力があれば、選手たちは世界の舞台で力を発揮し、日本の車椅子ハンドボールの未来を切り拓くことができます。
私たちの夢は、単なる個々の挑戦を超え、全ての障害を乗り越えることの象徴です。車椅子ハンドボールを通じて、私たちは多くの人々に希望と勇気を届けたいと願っています。この挑戦を通じて、皆様と共に感動や勝利の喜びを分かち合い、一緒に夢を叶えることを心から楽しみにしております。
どうか、Knockü SCの6名を世界へ送り出すために、皆様のお力をお貸しください。
皆様のサポートが、私たちの夢を現実にする力となります。
共に新たな歴史を創りましょう。
今回、ご支援いただいた金額を6人で均等に割り遠征費用に充てます。また一部をKnockuの競技普及活動費用に充てます。
私たちは、車いすハンドボールという競技を通じて世の中に貢献できることが沢山あると信じています。
障害のある子どもたちに夢や希望を与えること、競技を通じて障害のある人とない人が共に混ざり合い互いに理解し合う機会をつくっていくこと、沢山の人達に感動を与えることなど、わたしたちにできることで、この社会より良く変えていきたいと強く願っています。
そして、本クラファンプロジェクトを通じて皆様のお力をお借りすることで、その夢がより現実になると考えています。
わたしたちの想いに共感し、共に同じ未来を描いて下さる皆様に感謝致します。
本プロジェクトを通じて、私たちと一緒に夢を見ましょう。
【世界選手権の概要】
・大会名:第3回 IHF (4人制)車椅子ハンドボール世界選手権(3rd IHF Wheelchair Handball World Champoonship)
・主催:国際ハンドボール連盟(International Handball Federation)
・開催期間:2024年9月16日(月)〜9月21日(土)
・開催場所:エジプト・カイロ
・参加国:8カ国
グループA: ブラジル(第1回大会優勝)、フランス、日本、アメリカ合衆国
グループB:エジプト、ポルトガル(第2回大会優勝)、インド、チリ
KnockuSC千葉チームの活動の様子
全国大会で優勝したKnockuSC新宿
お支払い方法
支払いの方法は【オンライン決済】と【銀行振込】の2通りあります。
寄付額をご自分で設定することも可能です。
Knockuが目指す小さな共生社会とは
私達は、障害のある人とない人が共にスポーツ活動を行う中で、自然と支え合いが生まれるコミュニティのことを「小さな共生社会」と呼んでいます。私達は、そんな「小さな共生社会」を創り続けるために、障害のある人もない人も参加できるパラスポーツのイベント・コミュニティ運営を行っています。
なぜ、「小さな共生社会」が必要なのか
障害のある人たちは、自らの身体的・精神的な制約と社会のなかにある制約により、障害のない人たちと比べて生きづらさや日常生活のなかでの困りごとを多く抱えています。しかし、障害のある人たちの中には「誰かに迷惑をかけてしまうかもしれない」と考え、困っていても助けを求めることができない人たちがいます。逆に、誰かに助けられることが当たり前になり、自分でできることも誰かに頼って自分の可能性を閉ざしてしまう人たちもいます。私達は、そんな人たちがスポーツ活動を通じて「ありのまま」の自分と自分以外の他者と向き合い、「できないこと」を誰かに頼る力や、「できること」をやり抜く力を身に着けられる環境を創り続けます。
応援の声
2023/04/22
松本 賢
これまでハンドボールとビーチハンドボールを長年続けてきましたが、この度初めて車いすハンドボールを経験させて頂きました。 怪我の後遺症で現役選手を諦めていた私はKnocküさんのおかげで再び目標を持つことができました。 今後はルールは違えど同じハンドボールを冠する【車いすハンドボール】を垣根を越えて盛り上げていきます。 Knocküさん、こんなにも素晴らしいスポーツクラブを立ち上げて頂き、本当にありがとうございました!
2023/04/02
4/1に千葉県スポーツレクリエーションセンターにてparaiveに高3息子、宗一郎が参加させていただきました。 目を輝かせて、のっきゅーの皆様のことを話してくれました。志の高いひとたちと共生社会の活動を共有できたこと。皆様のおかげで まず、「知る」 ことからスタートできました。 息子が今後、 共生社会のために自分ができることを行動に移していけることを信じています。 上智大学に入ってからもその先も活動したいとイキイキしています。 本当にありがとうございました。 野村香緒里
2023/07/23
ニュース記事を拝見して、活動の内容を知りました。素晴らしい活動ですね。スポーツの魅力は、障害のあるなしは関係ないですよね。応援します! 田中 希代子